2回生福元です。今回はトラフェスと西日本新人戦についてお話します。

まず第一にトラフェスでは200mFTT、1kmTT、エリミネイションに出場しました。200mFTTはいつもより重めのギア比で挑戦。パワーマックスで自身の脚が強くなっていたので新人戦前に挑戦しておこうという魂胆。結果は11秒858、トップスピードに乗せきることができず、思ったタイムは出ませんでした。この時はギアが重すぎたことだけが原因だと思っていたのですが、新人戦の時に本当は何が原因だったか思い知ることになりました。

1kmTTは準備は完璧だったのですが、同時発走2番目で、スタート直前ホルダーさんに支えて頂いている間にストラップを嵌めようとしていたら雷管がなってスタート。そこで僕が再発走をお願いすればよかったのにも関わらずテンパってストラップをとにかくはめてスタート。しかしダンシングを終えてから足に違和感、ペダルが外れていました。ダンシングを終えてから再発走もやはりできないのでそのまま走る。結果は1.13.779でした。

エリミネイションは合宿での経験からとにかくイン側で封殺されない立ち回りを意識。逆にアウト側から被せてスプリントをさせない立ち回りもできました。しかし無駄に動きすぎて脚を余計に消耗し捲くることができずに残り5周でエリミネイトされてしまいました。今回上位入賞された選手は皆固まって前方に居続け、ペースを掌握していました。他のレースを見ていても、とても参考になるレースでした。

続いて西日本新人戦ではスプリント、1kmTTに出場しました。

200mFTTをまず試走では、ギアをほんの少し軽くして周回速度を以前より早くすることを意識。かけ下ろすとフレームの真ん中から後輪にかけてすごく暴れる。ので実際の計測ではさらに暴れないよう意識。結果は11.748、直接見ていた両親曰くかけ下ろすにビビった様にしか見えなかったと。

その後対戦相手は朝日の選手でタイムは11.332と格上。流し先行の1番得意な戦法で勝負、最後のコーナーで合わせきることができずにまくられて負けた。これは何より悔しかった、先行で仕掛けたとき相手はすぐに後ろについていたらしく完全に実力で負けたということ。これまで自分で考えてきたことが甘いと本当に今更ではあるけど気づいた。

さらにその後間もなく1kmTTであったけれども他の選手も続いて1kmTTに出場し、自分が最後であり、まずdhバーが足りなく、森下に無理を言って貸してもらったものもポジションが合わなかった。この時点でそもそも準備が足りていない自分のミス、機材係であるにも関わらず機材のサイクルを組めなかった。そしてタイムも1.12.164と大した結果にもならなかった。黄、岸本、久保田にも当日からバタバタさせてしまったのは本当に申し訳なかった。

最後にスプリント5〜8位決定戦。先程の対戦からの反省でスプリンターレーンにはすぐに入らず、流れを意識して走るをテーマに。と思っていたらイン側をクジで引いてしまい先行義務を背負うことに。ただ先行を始めるだけでは琵琶湖のトラフェスの二の舞、スタートしてから誰も先行を欲しがらないのを確認してスプリンターレーンギリギリで先行、バンクを登って様子見の後ろ3人と距離を空ける。その距離を維持したまま自分もバンクを登り後ろをチェック、すると誰も距離を詰めようとせず牽制が発生していると確信。シッティングのままペースを更に空けてハロンを一気にかけおろしてそのままフィニッシュラインまで1周半独走。無事逃げ切れて5位になった。

この2試合を通して知ったことは自分が目指しているレベルに全くといっていいほど到達していなかったこと、そして自分はこれまでこれからばかり考えて足元を見ていなかったことがよくわかった。スプリントで自分の脚力を抑える上体ができていないにも関わらず脚のパワーばかり鍛えて、上体はそれなりに鍛えた「つもり」。戦略は先行してパワーさえあれば相手を抑えられる「はず」。結果は上体が脚に振り回されて戦略は真っ向から通じず叩きのめされる始末。自分がこれまでこうすれば上手くいくと思ってやっていたことがただの思考停止で夏休みに獲得したはずの気づきやフィードバックを試合に発揮できず全部無駄にしていた。
新しく何かに挑戦するばかりでこれまでの自分を正しく振り返ることができていなかった。両親はいつも自分の試合を見ていてくれて実際に起きたことを詳しく教えてくれる。それなのに上記のことに気がつけなかったのは自分が傲慢で感謝の気持ちが上辺だけだったから。それは最近の振る舞いにも出ていたと思う。

これだけダメな自分を自覚していてもやっぱり勝ちたい、もっと強くなりたいとも思います。日頃の積み重ねをもっと意識して一からやり直すつもりで出直そうと思います。

 

ー2回生 福元啓太ー