こんにちは。4回生の谷です。4月はいろいろありレースに出場できなかったので、5/15の修善寺オープンが今シーズン初レースでした。

レースまで
4月から岐阜で一人で練習すことが多く、参加した関大練もタイム測定や後輩たちの西学トラックの準備だったので集団走行は皆無。体重も目標の63kgまで落とせず、前日の風呂あがりに測ったら65.4kg。
不安要素はありましたが、大会1週間前には二ノ瀬峠17分40秒。3日前は高山1本目4分14秒とベストに近い走りが出来ていて、ゴールデンウィークの時に花谷さんに相談して、大会までヨガをやり続けて、ペダリングも右手から左足にかけた斜めのラインの力が反対のラインに比べて弱いとのことだったので、練習では左足の踏み込みを意識したり、雨が降っても大丈夫のように、雨の日に二ノ瀬峠を越えてツアーオブジャパンのいなべステージまで走りに行って120km走ったり、とにかく一人でも就活生であっても当日まで出来るだけのことはやろうとしました。

コース
修善寺5kmサーキット(反時計回り)
特徴 上るか下るかのコース

距離
クラス1+2 100km(20周)
エントリー
168人
修善寺オープンは一般参加もでき、今回はシマノレーシング、那須ブラーゼン、ブリジストンアンカー、レモベルマーレ、イナーメ信濃山形などプロチームが多く参加しており、レベルが高くなることが予想されました。

1~3周回
スタートは前方。パレード明けから鹿屋の選手2人が飛び出すが程なくして吸収。集団走行に慣れるまでは集団中央から後方にかけて走行。毎年のことだが、最初3周はペースが早い。この3周がアップになり4周目から足が軽くなるのも、いつも通り。最初は松兼が前方に瑛久が自分の付近を走行。僕が集団走行特に上りで気をつけていることはイン側を走らないこと。曲がりながら上る箇所は皆がイン側に寄ってきて、密集し過ぎて罵声と共にブレーキがかかり、結局足を使う羽目になるので、自分は距離が長くなってもアウト側からストレスとないように上る。案の定イン側のブレーキに瑛久が引っかかるのをみて自分は位置を上げて、瑛久は下げることに。
4~7周回
知らない間に15人から20人程の逃げ集団が15秒先にいることを知る。去年僕はこの逃げ集団で走っていたので、今年は逆の立場。だからいやな予感が頭をよぎる。今は自分の集団がメイン集団だけど、強い選手が少しずつ前の逃げ集団に加わることによって、いつの間にか前の逃げがメイン集団になり、今のメイン集団が遅れ組に変わる。そんなこと思っていたら、アンカーの選手がホームストレートの下り前の1番斜度のきつい上りあたりから前に上がってきて、それに合わせてシマノやブラーゼンの選手が前方に集まり出す。集団中央にいた自分も準備は出来ていたので、一気に前に上がる。予想通り前の逃げ集団に追いつき、一安心。後ろから集団でついてきてはいたけど、後ろの方はかなりきつかったんじゃないのかなと思う。この出来事以降集団前方で走行。
イナーメの中村龍太郎選手が飛び出したのが見えたが、凄くキレのある飛び出しだったと思う。
8~11周回
シマノ選手が少しずつ飛び出していく、どれも力強い。そして、
イナーメ 1人
シマノ 4人
日体大  1人
計6人の逃げが形成され、タイム差は50秒から1分10秒程で、レースが進む。シマノは8人ぐらいで参加しており、対抗勢力 那須ブラーゼンも5人程、しかし逃げに送りこむことができず、集団前方に集まり出す。序盤から上り下り関係なくゼリーやドリンクを飲み続けてきたが、粉のスポーツドリンクが薄くて、水を飲んでる感じ。結果的に足を吊り始めた。ヤバイな思いながら、下りで足を揉んでみるけど、効果なし。補給開始が10周目完了時からなので、予め9周目に田渕と福元がバス停見たいな休憩所で待機してくれていたので、「スポドリ、濃いめ!」と伝える。補給は秀峰亭の上り区間ですが、その時に伝えていては欲しいタイミングで補給役が準備出来ない可能性があるため、オーダー聞く役の田渕と福元がいる。ボトル放棄地点は秀峰亭を上りきった場所にあり、これは1周手前でボトムを放棄する。補給開始。自分は集団前方のため、難なく補給者に寄れる。松兼からゼリーを受け取り、笹岡からスポドリを受け取る。更にキャッチミスや集団内で予定な場所で受け取れなかった場合に備えて、山神が上の方でボトルを持って待機。他にも逃げとのタイム差や逃げ集団の様子を伝えてくれる役が大学関係なくコースのいろんな場合にいて、ロードレースは走る選手だけではないことが分かると思います。無事スポドリを飲み、足の吊りが解消される。
12~15周回
集団前方にいるので先頭交代に加わることもある。日体大が降りてきて逃げはシマノとイナーメの5人。しかしいっこうにタイム差は1分前後。明治の野本選手や日大の岡本選手は常に前で走り続けていて、強いなぁと思いながら、走っていた時、2つ目の長い下りから秀峰亭に向かう上り区間で他の大学の選手と接触しかけ体勢を持ち直そうとした時左のもも裏に痛みが、吊った。正確には一歩手前の警告状態。去年の美麻のインカレや益田チャレンジの記憶が蘇る。(漕いだら終わりや、これはマジでヤバイ)そう心の中で思いながら傾斜が緩まる区間だったので、惰性で進むと周りの選手がどんどん自分を抜いていく。まだあと7周もある。集団前方ということもあり、少し考える。警告がおさまるまで違う部分で漕ぐことにする。体幹に意識を集中させてみる。まぁ横腹なんですが、上手くいった。あとはダンシングを含めて体全体を使って上る。ゼリーを一気に飲み込んで出来るだけの対策をする。(乗りきった。)回復してからは集団前方に復帰。山神がコーラとスポドリを持っていたので、コーラを取ろうするが失敗。
足はこんな状態でしたが、心臓はぜんぜん問題なし。関大メンバーがどこにいるのか見る余裕もあり、毎回確認しているが、瑛久の姿が見当たらず、あの2周目の時に離れてから見てないけど、集団後方に残ってるのか?15周目まで思ってました。
集団にいてどこが苦しいか、僕は上りから下りに入る場面が苦しかったです。上りが終わる前に誰がペースを上げてそのまま踏んで行くので、集団前方でもばらけることもあり、そこで遅れると追いかける展開になるので、上りきって安心することもなく、下りに入る前に前の選手に着くまでが勝負。これは修善寺に限らず、今まで走ってきたロードレースどこでも感じることで、以前から練習に取り入れていました。関大の練習コースは高山という上り区間が3つあるコースでそれぞれの上り区間の移動や下りは流さず、そのままペースを維持するといった練習。レースの話しに戻ると、それを繰り返しているうちにホームストレートの下り(下りといっても踏まないと伸びていかない平坦基調の下り)で那須ブラーゼンの選手2人と僕が集団から抜け出す形に上り区間で後ろから追いついてきて、那須ブラーゼンの選手3人が前に並んで話している。どうやら、ペースアップに他の選手の協調が取れず苛ついているみたい。シマノは逃げに4人いるし、イナーメの中村選手も逃げ。ブラーゼンも3人しか残っておらず、他のプロ選手もリタイアしている。全く差が縮まらない。
16~20(最終周回)
周りの情報をくれる人たちから、前の逃げ集団が崩壊したと情報が入る。そこから集団のペースが上がる。逃げとの差が30秒。秀峰亭を越えた所でイナーメの中村選手が降りてきた。この時にはもう日大の岡本選手が集団から単独で飛び出していたと思う。ペースアップする集団に着いていき、ラスト1周に入る段階では集団で迎える。集団といっても、その前には先頭のシマノ木村選手がいて、後ろに更に数名がいるようで、僕がいるのは第3集団。同志社の中西君もいて、ペースが上がる。僕は秀峰亭後のU字カーブからの軽い上りで遅れて、そこからは順位を落とさないことを優先して、ペースで走る。自分の前に順天の選手、後ろから法政の選手が迫ってきていましたが、追いつくことも、追いつかれることもなくゴール。

リザルト
22位(学生のみ12位)
1位から1分52秒遅れ
168人出走中32人完走

優勝者がav35.24km/h
去年よりも2km/h近く早くやはり早いレース展開になった。インカレはおそらく28周回140km。今の実力では逃げに乗ることも、最後の順位を争う場面にも残れない。

反省
今回感じたのは自分にはスピードが足りないと思いました。それは個人TTのような独走のスピードやチームスプリントのように、速いスピードに上乗せしてスピードを加えるといった力のことです。次の西カレロードの美山やチームTT個人TTなど、この5月はスピードを出す力を自分の持ち味に出来るように、取り組もうと思います。

今回は前日の夜に瑛久が中心となりミーティングを行い、レース当日は選手もマネージャーも役割分担がはっきりしていて、チームとして凄く動けていたと思います。
サポートしてくれた後輩たち、アドバイスをして下さった自転車部のトレーナーの花谷さん、食べ物に気をつけてくれた母、気にかけて下さった監督、コーチありがとうございました。
そして最後までこの長いレースレポートを読んで下さった皆様ありがとうございました。

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-4回生谷 順成-